じゃない・くない

このスクールでは「ない」の初期導入をします。
「名詞/なAじゃありません」ではなく「名詞/なAじゃないです」が、「いAくありません」ではなく「いAくないです」が、最初期に導入されます。

あるないですありませんあります
いるないですませんいます
いるいらないですいりませんいります
するないですませんします
くるないですませんきます
わかるわからないですわかりませんわかります
わかるわかんないですわかりませんわかります
かもかもしれないですかもしれませんしります
もう たべたまだ たべてないですまだ たべていませんたべました*
たべたことあるたべたことないですたべたこと ありませんたべたことあります
NOUNだNOUNじゃないですNじゃありませんNOUNです
なADJだなADJじゃないですなAじゃありませんなADJです
いADJいADJくないですいAくありませんいADJです
NOUNじゃないNOUNじゃ×くてN2です*****Nじゃないです
なくてもいいたべ×くちゃだめですたべなくてはなりませんなくてもいいです
たべてもいいたべ×× ちゃだめですたべてはいけませんてもいいです
たべてたべない*****
しょうがないです*****
しかたがないですしかたがありません
もんだい*ないですもんだい*ありません
かんけい*ないですかんけい*ありません
そんなこと*ないですそんなこと*ありません
なにもないですなにもありません
だれもいないですだれもいません
なにもできないですなにもできません
どうしようもないですどうしようもありません
信じられるしんじられないですしんじられません信じられます
すくないです*****
あぶないです*****
つまらない
なくなるな×くなるなくなります
なくすな×くなくします

私は日本語教師養成講座で(つまり、自分が学生だった時)、教師と大喧嘩して泣いてしまった。

「どうして、圧倒的によく使う形【じゃないです】を導入しないのですか?こんな全然使われない形【じゃありません】を憶えさせても誰も言わないので聞き取れないですよね。役に立たないですよね!第一、難しいですよね」
どんな理由からわざわざ学生の学習項目を複雑にさせるのですか?一つもいいところがないじゃないですか!!

あれから30年以上が経って、尚、技能実習生・特定技能に対して「です」の否定形の難しい方で文語的な方「じゃありません」が第1課で教えられ、一番大事な「わからない」が数千の例文の中に1つもな(く、命に係わる「とまれ」が教えられな)いのは、私は本当におかしいと思う。

しょうがない/しかたがない という最も言いたい言葉の一つをテキストに採用しない、というのも、余りに変だ。

最も言いたい言葉を採用することが語学の習得につながるし、最もよく聞くフレーズを学ばせることがテキストの役目だ。

頻出語
私は語学の基本は、より多く現れる言葉を「基本」と据え、その言葉をより早く聞ける・言える、ことが習得につながると確信する。

その時点で、日本語に最も多く現れる否定語は「ない」なのだから、その語を、最初期に教えるのが当然と思う。(語中に現れる否定形は100%「ない」なので、よしんば、今ある日本語全ての語尾が「ません」だとしても、「ない」を含む方が「ません」を含む文よりも圧倒的に多いだろう)(唯一、挨拶言葉だけは「ません」が多く、その「好ましい堅さ」が、「じゃありません」の初期導入に寄与したのかと思う程だ)

夢。
夢じゃない。

夢です。
夢じゃないです。

この「です」をつければいいだけの明快な文法をわざわざ採用しなかったのは、簡単過ぎて権威を失墜させる、と考えたからだろうか、と思う程だ。

とにかく、最も使用されているアジア系日本語テキストには、いまだに

夢です。
夢じゃありません。

が採用され、~じゃないです、の例文は一つもない。

また、「危険物は?」と訊かれて
ありません。しか例文にない。

ありませんのSHORT FORMは「ない」だとはあるが「ないです」は採用されていない。

しかも、この文法は25課中20課に出てくるので、「寒くないです」で「ないです」が明瞭に否定語だと理解できていればいいが、できていない場合は「じゃありません」が否定の王様と思っているし、食べていません、でも、「ません」が否定だったし、「ない」という最も根幹をなす否定語が身に付かないで学習を進めることになる。

日本語の基本概念
日本語は、前後に丁寧さを表す語がくっ付いて長くなり、その「長くする」作業が最も基本の敬語の考え方だ。
その日本語の基本を身に着けるのにも「じゃないです」はうってつけだ。

そう、じゃなく、そうです、ということ。
そうじゃない、ではなく、そうじゃないです、ということ。
待って、ではなく、待ってください、と言うこと。

おっしゃる、とか、召し上がる、とか、特別な言葉はいいから、せめて「そう」じゃなく「そうです」と「です」をつけて言ってくれないだろうか、と思っている日本人は多いと思う。

いや、もう、丁寧さはどうでもいいから、毎日使う「わかる」「わからない」がわからないと本当に困る、と思ってもいるだろう。

「そうじゃないです」と「そうじゃありません」の丁寧さに大きな違いがあると思う人がいるから「じゃありません」をわざわざ最初に学ばせるのかと思うが、「ない」は助詞的に厄介で、実世界では「ないです」も「じゃないです」も使うので実に実に困るだろう。

お金が ない
お金も ない
お金は ない
お金  ない
お金じゃない

代表的なものだけとっても5文あり、下よりも圧倒的に上の形で使われるのにもかかわらず上を勉強しないで・・・日本語学校に1年も2年も通うからそこで何となく身に付けられる人はいいが、そうじゃなかったら・・・。

お金が ありません
お金も ありません
お金は ありません
お金  ありません
お金じゃありません

家族との時間も なかなか持てないです。

これは「ない」形ので、テキストでは当然

家族との時間も なかなか持てません。

で習う。

今や名詞・形容詞の「ません」否定にとどまらず動詞の「ません」否定形も「ない」形で言われる。

「時間も持てません・時間も持てないです」
「何もありません・何もないです」
「私のじゃありません・私のじゃないです」

そんなに「ないです」がだめなのか?
私はそんなことを言ってるのは日本語の業界だけだと思う。

「時間も持てないです」は、厚労省第3回目緊急事態宣言TVコマーシャルで、医療従事者が病院で大変なので「家族との時間も なかなか持てないです。」と私達に訴えている設定だ。

私は中国上海に住んだ。
それは、泣いて教師に訴えた後だったが、泣いて訴えた「話されている言葉を」という考えはより強固になった。

私が上海で聞き取った最初の上海語は「サパニン」だった。
サパニン
サンヘーニン
ツォンコニン
ガッコニン
ポチンニン

「ニン」が「人」だとは余り気づかなかったが、外国語の習得は

サパニン
サンヘ―ニン
ツォンコニン
ガッコニン
ポチンニン

こうなった時になされる、と感じる。
共通部分が一列に整理された時に。

「ない」の出現率90%
本    です
本じゃないです と共通部分が整理できる。
丁寧体と普通体が容易く身に付く。

「ません」の出現率10%
本です。
本じゃありません。 と共通部分が一切ない。
丁寧体と普通体の練習ができないしコンセプトも見えない。

「じゃないです」を学ばせて、「わからない」を目に見える形で学ばせない限り、短期で学ばせるのは不可能だ。

命令形
命令形はN4。
それを、やらせないで?
工事現場みたいな、いや、別に、工事現場に限らず「あ、あそこには【行く】なって社長言ってましたよ」という普通の会話がわからない。。。あそこに「行く」でしょう、研修生は。

「明日は来いって部長言ってましたよ」
こないで、しか知らないから「【こ】い」は「【こ】ない」に似た意味・・?と思うでしょう。。。

かわいそうな研修生たち・・・。

日本の童謡は「くる」も「きます」も「こないで」もなく、全て・・・

1)春よこい早くこい♪(春よこい)
2)早くこいこいお正月♪(お正月)
3)皆出てこいこいこい♪(証城寺のタヌキ囃子)

「こい」であり、道路標識も「とまれ」であります。

「とまれ」と道路に書かれた法定外表示


外国人を海外から招聘する。最低限の学習をさせてから、という国家プロジェクトに際し、私は生命にかかわるこういった標識くらいは、わからせてから来させる、というのが最低限のマナーだと思うのです。

N4までの基本の骨格だけでいいから網羅した試験内容に変更させる。私はその方がいいと思います。
その分、本じゃありません、や、寒くありません、のような、どっちでもいける話は後回しにすべきだと考えます。

どっちでもいける話は、当然カンタンな方がいいし(N4までやるから時間もないけど)、基本の基本をより先に学ばせるのは当たり前のことだと思うのです。

名詞の否定形は「じゃないです」で導入し、動詞のSHORT FORMをこそ学ばせ、できれば命令形まで導入する(せめて「とまれ」は)

どっちでもいいフォームはより簡単に。それが、圧倒的に使われているほうなので好都合!!!そして最重要な言葉をちゃんと学ばせて入国させないと、第二の豚の丸焼き事件が起きると思う。

「危険物はありませんか?」
「ないです」

「夢じゃありません」は勉強しなくていいと言いたいのと同様に「寒くありません」は勉強しなくて構わないと言いたい。

逆に絶対に落とさず学んでほしいのが「あります」の否定だ。

あ!ない、ないない・・!パスポートがないです。先輩、パスポートがありません。



書き言葉が、新聞的文体が量として減り、よりSMSのような話し言葉的なものが増えた(現れた)のは、誰の目にも明らかだが、テレビも視聴者参加型(つまり、自然会話体)が増え、原稿を読み上げるような従来型の文語的スタイルが減った。

川崎の方言「じゃん言葉(=いいじゃん!?のような文体)」が「~じゃないですか?」からきているとは言え、地方で日本語を身に着けた外国人すら「~じゃないですか?」を巧みに使って話している。

じゃないです、を使わなければ私達は日常会話を話すことは無理であるにもかかわらず、いまだに「NOUNじゃないです」を教えないで日本語教育をやりすごし、特に初期導入しないのは不思議千万と言う他ない。

私は、そもそも、より多く現れるものが基本的と断じるべきと思う。
基本的な重要度の高いものを先に学ぶべきだと考える。

MAC?
ううん、MACじゃない。
MACじゃないと思います。
MACじゃないと言っていました。

この使用頻度の時点で既に「じゃない」に「です」をつけるだけで完璧な文になる「じゃないです」を先に学ぶべきだと素直に思う。

1)夢じゃないです。名詞文否定
2)さむくないです。形容詞否定
3)そんな物いらないですよー。動詞否定
4)家族との時間も なかなか持てないです。

上記と下記は意味が同じで、上記が否定に「ない」を用い、下記が「ません」を用いたものだが、日本人であるなら、これを文面にするとき、ーー例えばあなたがコピーライターだったら、あるいは、あなたがテキストの執筆者だったら、どちらを選ぶか迷うだろう。

夢じゃありません。
さむくありません。
そんな物いりませんよー。
家族との時間も なかなか持てません。

普通の話では、夢じゃない、と言うので、夢じゃない、に、です、を付け足した「夢じゃないです」。

使用頻度の点から言っても、作り方の簡単さから言っても、日本語の基本的文法構造(です、ます、ください、を文末に付けて、丁寧体にさせる)を身に着けさせる点から言っても、【上】の【ない】形を最初期に学ばせるべきだと考える。

4)は、厚労省第3回目緊急事態宣言TVコマーシャルで、医療従事者が病院で大変なので「家族との時間も なかなか持てないです。」と私達に訴えている設定だ。

5)お金じゃないです。
6)お金じゃありません

7)お金が ありません。
8)お金じゃありません。

5と6は全然違う形なのに同じ意味で、7と8は全く違う意味だ、ということを、現状ではテキストの範囲では教えられない。「じゃないです」が載っていないからだ。

しかし、実際の会話では、名詞否定どころか形容詞否定どころか動詞否定までもが「ないです」の形で使われている。それを勉強させてもらえない学習者が日本社会に放り出されて意識して教えた教師であれば学生はまだラッキーだったが、を両方習わねばならない外国人にとっては2倍の煩雑さが強いられる。と言いたいところだが、「じゃないです」も「ないです」も両方とも学習されないので、短期しか日本にいない者や勘がにぶい者にとっては実にやっかいだ。

お金が ないです。
お金じゃないです。

4通り勉強しなければ身に付かないだけでも大変だが、実は、厚労省のCMで採用されているように今や私達は「ません」よりも「ない」をより使っているので「お金がありません」より「お金がないです」が、「お金じゃありません」より「お金じゃないです」が圧倒的に話されている。

「いやー、お金、ないんだよー」
SHORT FORMだと100%「ない」を使うが、LONG FORMでも

「いやー、お金、ないですよー」と話すし、

「え?これ、私のお金じゃないですよ」と話す。

それを習わないで、よく、今までの日本語教育は成り立った、と私は心の底から感心する。

その位、日本語は規則的だった、ということだろう。
文字や敬語が複雑だったかもしれないが、「ない」を中心に据え、また、「です」「ます」「ください」を末尾につけさえすれば何とか一人前にみても、もらえる。

その意味でも

「夢じゃない」
「夢じゃないです」

が、「夢じゃありません」より、より、日本語という言語の根幹的思想を体現している。

お金がないです。
お金はないです。
お金もないです。仕事もないです。

「が」はよく「は」にも「も」に変わるが、では

「お金 ないです」
が、じゃあ、どっちなのか。私達は非常によく助詞を言わない。

お金が ない
お金も ない
お金は ない
お金  ない
お金じゃない

代表的なものだけとっても5文あり、

お金が ありません
お金も ありません
お金は ありません
お金  ありません
お金じゃありません

学生は「ません」しか習っていない、という惨状があり、更に

お金で ない
お金すらない
お金しかない

等も現実社会では話され、更に

お金じゃないですよねー
 金じゃねーって言ってんだよー

等、語尾に複雑な終助詞が付いたりすると、勘のにぶい外国人には相当につらいことになると想像する。

I wana go.
I gona go.

が習っていないからわからない日本人と似ているだろう。

しかし、wanaやgonaよりも「ありません」と「ないです」は共通部分が全くないので本当に困ると思うのだ。
want to とgoing toは、約半分共通部分があり、共通部分0の日本語の想像ができない外国人を責めるのは、ひどいとしか言いようがない。

テキストにないから想像し慣れで身につけるしかないのだが、どっちでもいい(要らない?)ものを第1課から習って本当に要るものが全く勉強されなかった、というあり得ない状況に今日本語教育は置かれている。と言いたい。

それは、N1まで学習予定の者にとっては、まあ、まだしも、と思う。「ません」の否定形が全学習時間の1/20くらいにしかならないので。

N5で来日する特定技能や技能実習生の外国人にとっては、中国人ですら「勉強したことは何も役に立たなかった」というのが感想なのだ。

「ません」の否定形の学習のみが半分以上(第1課!から(T_T)で「さむくないです」を学習したので、自力でNOUNの否定形が「じゃない」だから、多分「じゃない」に「です」をくっつければいいのかも?と推測し、成功した者でなければ200時間も勉強したから「本じゃありません」は言えても「本じゃないです」が言えないし聞き取れないという場合は普通に起こる。

何か質問はありませんか?

そこにだれかいる?
いないです。

私は、その10年後、コミュニケーションスクールを立ち上げました。
なぜ?
上の人がやっていることに立てついたらだめ。人間関係を壊したら何もできなくなる。上には従うべき。
という私が若くして獲得した「人生訓」を皆に伝えたかったからです。

そう。
私にとって、日本語教師養成講座は、何もできなかった一介の私に会社を立ち上げさせる程の、パワー、マイナスのパワーの最悪のものでした。

私は全てのことをしました。
私「じゃない・くない、の方が話されていますよね?」
「いいえ、そんなことな・・、そんなことありません」

私は、テレビで「じゃない・くない」が話されている証明(録音して書き起こし数える)を担当教師に見せました

私「先生、見てください。昨日のテレビで、じゃないです、の方が、じゃありません、より多いです」
「数え間違いでしょう。。。そんな少しでは証明にならないですよ。」

私は毎日テレビを録音し「じゃない」「くない」を書き出し、その方(じゃない、くない、の方)がずっと「じゃありません」「くありません」より多く話されていることを報告しました。
毎日喧嘩です。

そして、私は「そんな使われない形を最初期に教えたくない」と、とうとう、実習初日を休みました。
それで、一番配点が高い実習をずっと休んだので、何十万円も自腹で払ったのに、卒業ができなくなりそうになった位でした。

・・・最後の最期、何とか救済措置が施され卒業だけはしましたが、もう、最悪でした。
担任の先生と最悪なのですから、もう、全て最悪。
その後、中国に行くことになっていたのに、中国の日本語機関に紹介されることも一切なく、人間関係で得られるものは、何もかもを失ってしまいました。

それで、それが余りに酷い経験だったので、・・・人は上の人に従って物事を丸く収めるべきだ、逆らったり、意見を述べたりしてはいけない。自分が何かを立ち上げるなら自分の意見で突き進む、それでいいけど、ある組織の中にいるなら、その組織の和を乱してはいけない、という教えを10年後、自分が立ち上げた「話し方教室=コミュニケーションスクール」の中で私が実体験の中で得た人生の真実を述べたのです。

私がコミュニケーションスクールを立ち上げた理由は、「じゃない」「くない」を主張したがために、全ての人間関係を壊し、人生の辛酸を舐めたからでした。。

その10年後、コミュニケーションスクールを15年間開催し、最後の最期?やっぱり、私の夢であった「日本語学校」の方に戻りたい、と考え、東京都の助成金に応募したり、留学生向け不動産を手がけてみたりする中で、日本語教授に立ち戻り、インターネットでのレッスンを自分がやる、という方向性に落ち着きました。

そんなある日、特定技能・研修生・留学生が来日するのに多額の斡旋料が動いているのを知るに至りました。
!!!!!
かわいそうな研修生達・・・

そして。
研修生・実習生がN5をとること、それが来日の条件だと知ったのです!!!!!

はあ????!!!!!

テキストは「じゃありません」を第1課でやるの???!!!

一番不必要な文型を第1課でやって、習う内容を複雑に複雑にさせる現行の教え方・・・。
いまだに・・・・?

豚の丸焼き事件の実習生達は、「じゃありません」を第1課で勉強させられる非常に分かりにくい現学習スタイルの犠牲者じゃないか・・・。

私は、それで、「ない」「じゃない」「くない」から始めるテキストを書こうとしたのですが・・・挫折。

留学生から「斡旋料」取らないで来日させる仕事との両立は、とても無理だと思い知ったのでした。

一番やりたいことは、じゃない・くない、のこと。

でも、せめて、斡旋料をとらないで来日させることだけは、私一人の力でも、大分できるかもしれない・・・。

吉林省の蘭先生が一緒にやってもいいっておっしゃってくださった!!!!

二人いれば、何とか斡旋料取らない話だけは、何とかなるかもしれない。

そして。

二人であれば。

じゃない・くない、の初期導入が、可能だ!

私は、N5からN1に向かう大学生用の話はとっくに諦め、特定技能・技能実習生の試験を変えさせる果てしない闘いに挑むのも諦め、ずっと簡単な「留学生から斡旋料を取らない」ビジネスに取り組むことにしたのです。

本当は途中に養護施設のことや里親のこと、モンゴルに行ってマンホールチルドレン達に会ったこと、その子達を来日させること・・・色々紆余曲折はありながら、ひとまずは、0円留学、を実行にうつす、そこに辿り着いたのでした。

では。

じゃない・くない、の話は、私のスクールの中でやるから、もう、それでいいのでしょうか?
私は、もう、立てつかない、のでしょうか??

私は。
でも。

学習目標がそこにはない、アカデミックに徹する必要のない研修生達の学習は、やはり、「ない」を中心にした「じゃないです」を最初期に教える方向性が正しいと今でも主張したいのです。

外(そと)にも。

試験を変えさせるところまで、という全体の話は諦めたとしても、一部の、ほんの一部の人達でも。

だから、このHPを立ち上げたのです。

私の過去書いてきたブログの半分は行き過ぎもあり、訂正も必要でしょうが、現状の特定技能達の為の試験だって、改革の必要性ない、と言えるのか。

今あるシステムに疑問を呈する。

今ある「国の」システムに疑問を?!!!!!?

それは、果てしない道のり。

でも、N1をとっていらっしゃり日本に長年滞在された(私の知っている外国人の中で最も日本語の達者な)蘭先生が、介護の4枚の絵の中で最も難しく翻訳できなかったのが「すまないねえ」だったのです。

「すみません」は何万回も聞いていて、絵も見て、尚!すむ、の「ない形」が「すまない」だとは、気が付かない。。。

その位、外国人にとって「ません」と「ない」は別物。

私のアメリカ人の学生は学習障害があって4年勉強しても平仮名も半分もわからないし「ます形」がやっと。
辞書形もほとんどわからない。でも、そも彼女が今、日本に滞在して1年。

「先生、「わからない」は、何ですか?」
と質問しました。
『おーーー。あんな何もわからない彼でも<わからない>を聞き取った!!!!』
と感動しましたが、その位、わからない、は、使われる・・・。

そして、1万語文近くあるだろう「みんなの日本語」に「わからない」の例文がない!
「わからないです」もないです。

ない形+です。
が、こんなに多くの人々によって話されているにもかかわらず。

その共通部分は、最も重要だったから、何度も現れるのです。

「ない」ほど頻繁に現れる否定形はないです。
中国人の大好きな「没有方法」=「しょうがない」なんか、「しょうがありません」が、ない程です。

しょうがないです。
を教わらない外国人にどうやって丁寧に話す日本語の根幹を教えるのでしょうか。

日本語とは「です」や「ます」や「ください」を語尾につけることで失礼にならない言語です。
それらをこそ、末尾に付け足すべきである、という最も大事な敬語の考え方が、学べない。今の学習項目では(T_T)

しょうがない、も、しかたがない、も載らないテキスト。
わからない、も、ない。

そんなテキストで学ばせる今のやり方では、時間がある人はいいけど、ない人は、慣れないから難しい。

日本語のテキスト程、学生が慣れることを期待しているテキストはないんじゃないかと思います。

テストの出題内容の再検討を心の底から望みます。

入国時の手荷物検査で「ありません」と言う方が一体何%丁寧さが増す、というのでしょうか?

「ないです」「ありません」この場合は本当に真実!どちらでもいい。
私はここでこそ!両方!!言えるようにさせるべきだと思うのです。です、じゃありません、の方ではなくて。

テレビ一つとっても、この10年で視聴者参加型が増えました。
原稿を読むような堅い言い回し(じゃありません/ません)は、SNSの増加もあり、文面ですら圧倒的に減り、話し言葉的な表現は増加の一途です。

お受験の4才児の面接クラスに立ち会った時に
「5才ではありません、4才です」
とわざわざ言わせるのを聞いて心から驚愕しました。

「5才じゃないです」より「5才じゃありません」「5才ではありません」の方が1%くらい、「正式」?に聞こえる。
たしかに。
1%前後のフォーマルさ。
日本人も気づくか気づかない程の、でも、お金を払う価値を見出せるかもしれない、母親には気づかなかった名詞の「より丁寧な」否定形・・・

それはそうだとして。
外国人が
「えー?そんなこと、わかんないの?」と言われて
「わかない。しょうがない。やったことない」
と言うのでなく
「わからないです(わかりません)。しょうがないです。やったことないです」
という方が「です」のない文より何%丁寧だろうか、と私は思います。

100点満点中私だったら70点か80点あげていいのでは、と思います。

1点の70-80倍、丁寧になった、と私には感じられます。

「わからないです。わかりません。すみません、しょうがないです。やったことないですから。」

豚の丸焼きは、もう、たくさん。

いえ、外国人がかわいそう・・・。

ちなみに:
上記文中に使用された「ない」=36回
上記文中に使用された「な」く=12回
上記文中に使用された「ません」=2回

なので:
ない  =38/51=72%
な(く)=12/51=23%
ない+な(く)   =95%
ません =2/51 = 5%

文末に使用された「ない」=聞き取れないですよね?役に立たないですよね!一つもいい所がないじゃないですか!そんなことないです。そんな少しでは証明にならないですよ。述べたりしてはいけない。犠牲者じゃないか・・・。できるかもしれない・・・。気がつかない。何とかなるかもしれない。例文がない。辞書形もほとんどわからない。「ない」ほど頻繁に現れる否定形はないです。わからない、が、ない。

文末に使用された「ません」=そんなことありません。学べません。

文末に使用された名詞・な形容詞否定形はなかったので、上記は、全て、動詞

参考程度に:

文法用語・文法例文としての「ない」=50回
文法用語・文法例文としての「ません」=15回

「ない」の表中の数=25回
「な」の表中の数=4回
「ません」の表中の数=23回

当たり前ですが「すくない」は「少ない」であり、「無い」との関係は定かではないものの「少ない」ことは「ない」と無関係とは言えず、語源的に関連を想起できるかもしれない、ということで、ここに、載せさせていただきました。